今回は、ジャニーズの歴史について。

ジャニーズ事務所ができて、さまざまなアイドルグループがデビューして活躍するまでの歴史です。意外なことにジャニーズは、元々は芸能活動を目的とした団体ではなかったことがわかりました。

レポート全体では、「序論 本論 結論」の本論にあたる部分です。本論の前半を次のようにしてみました。

(1)ジャニーズとは ※ジャニーズ事務所とは
(2)ジャニーズの歴史  ←今回
(3)ジャニーズの人気グループ ※前回の内容

まず(3)について。
前回の内容については、どのグループを取り上げるのか自分で取捨選択するといいと思います。

調べてみて意外だったのは、てっきりジャニーズの一員だったと思っていた「KAT-TUN」が、スタートエンターテイメント所属だったこと。そういうこともあるので、アイドルグループの中でジャニーズ以外のグループと、ジャニーズのグループを比較してみるのもいいかもしれないと思いました。

取り上げるグループについては、アンケートを取ったとのことなので、その中でのジャニーズ比率とか面白そうですね。みんなが思うアイドルの90%がジャニーズ所属だった!とかの結果が出ると説得力が出ます。せっかくアンケートを取ったのだから、ぜひレポートに組み入れてください。たぶん、そういったフィールドワークというか一次情報を収集をしたというのは高評価につながると思います。

なお、男性アイドルと女性アイドルですが、ジャニーズは男性アイドルの事務所ですよね。だから、レポートの早い段階で「男性アイドルに限定して調べてみました」といった内容を書いておくといいと思います。※表現は、自分の言葉で

次に、前回もでてきた引用部分の書き方については、先生に質問しておくといいかも。
よくある方法は以下のとおり
・引用部分は「 」でくくる。
・長い場合には上下一行あけて、2文字分下げて記述
※今回は、わかりやすくするため長い場合には「引用開始」「引用終了」と記述してます。

それでは、「ジャニーズの歴史」について。

(2)ジャニーズの歴史

①ジャニーズは野球チームだった!
日系二世で、1953年に米国大使館の通訳として来日したジャニー喜多川(以下ジャニーと記述)は、通訳士の仕事をしつつ近所の子供たちに野球を教えていました。チームは弱かったためジャニーはヘターズやエラーズなどと呼んでいたが、所属していたあおい輝彦の提案で名付けられたといいます。

初代ジャニーズ(1962年4月~1967年12月)のメンバーだったあおい輝彦は、次のように語っています。

引用開始

当時、米国籍のジャニーさんは代々木の在日米軍施設で、僕たちの野球チームの監督をしていました。
へたくそだったのでチームの名前は「ヘターズ」「エラーズ」とかふざけてて。ただ、練習を頑張っていたら強くなってきまして。僕が「かっこ悪いし、ジャニーさんが監督なんだし、ジャニーズにしましょうよ」っていって、「ジャニーズ」になったというのです。「ヘターズだったら、事務所としても売れなかったよね」って笑っていました。

引用終了
出典(あおい輝彦が独占手記、ジャニーさん死去に「兄貴を亡くした気持ち」
https://www.sanspo.com/article/20190711-LWMLWC32TBLKPOGWYYA6FU64TQ/

ということで、ジャニーズの出発は少年野球のチームだったようです。

②野球からエンターテインメントへ
雨で野球の練習ができなかったある日、映画『ウエスト・サイド物語』をみんなで見たそうです。そのことがきっかけで、ジャニーはエンターテインメント事業への参入を決意。ジャニーズのメンバーもダンスのレッスンを受けました。
そして、昭和37年4月、野球チームのメンバー4人でジャニーズを結成。
そして、初期のジャニースについて、先のあおい輝彦の手記から引用してみました。

引用開始

そうそう、僕らがデビューする直前に、日本テレビ系「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」で木の実ナナさん(73)のバックダンサーとしてシルエットで出演したこともあった。シルエットだから顔も分からないし、まだ男子が踊ることが珍しい時代でしたから「誰だ?」と問い合わせが殺到して、火が付いたんです。
 ジャニーズワールドは立派な巨木に成長しましたが、最初の小さな種になれたことを誇りに思っています。フォーエバージャニーズ! フォーエバージャニーさん!

引用終了
出典(あおい輝彦が独占手記、ジャニーさん死去に「兄貴を亡くした気持ち」
https://www.sanspo.com/article/20190711-LWMLWC32TBLKPOGWYYA6FU64TQ/2/

日本では、男性がバックダンサーとして踊るというのは今でもあまりないと思いますが、当時としては相当インパクトのある映像だったと思われます。
当時の芸能界には、「御三家」と呼ばれた人気絶頂の男性タレントたちがいました。しかし、橋幸夫も舟木一夫も西郷輝彦も歌うことはあっても、ダンスを踊るというイメージはなかったと思います。
そんな中、踊る若い男性アイドルというのが世間に注目された要因の一つだと考えます。いわゆる「歌って踊れるアイドル」の日本での誕生です。

③初代ジャニーズの快進撃
芸能界とは全く関係のない少年野球チームの4人がメンバーとしてデビューした初代ジャニーズ。芸能プロのオーディションで選ばれたわけでもなく、最初から芸能界を志望していたわけでもない野球少年がどうなったでしょうか。
・初代ジャニーズは、1962年8月、NHKの番組『夢であいましょう』で田辺靖雄のバックダンサーとして芸能界デビュー。
・1963年1月、『日劇ウエスタンカーニバル』に出演し、伊東ゆかりの「ロコ・モーション」のバックダンサーを務める。
・1964年6月にジャニーがジャニーズ事務所を創業。

ここで気づくのは、初代ジャニーズのデビュー後にジャニーズ事務所が設立されたということ。少し意外な事実ですね。

・1963年12月、『若い涙』でレコードデビュー。この曲は、先のNHKの番組『夢であいましょう』内のコーナー「今月の歌」で採用。
・1965年、NHK紅白歌合戦に出場。

ということで、ジャニーズ初のアイドルグループ「ジャニーズ」は、「歌って踊れるアイドル」として人気を得ました。

その後のジャニーズ事務所からも多くのアイドルグループがデビューし、人気を博しました。※(3)へのつなぎ部分です。

ということで、今回は「ジャニーズの歴史」でした。
上のつなぎ部分も含めて、取り入れる場合は自分の言葉でリライトしてください。

また、ささっと打ったので「常体」と「敬体」が混在しているかもしれません。引用部分以外は統一したほうがいいので、どちらかに揃えましょう。どちらがいいのかは、質問して確かめておくといいかもしれません。※常体は文末が「だ」「である」などで、敬体は「です」「ます」などです。論文は、常体がほとんどだと思いますが。

おそらく、質問をするイコール熱心な生徒、と思われる可能性が高いと思うのですが、先生によりますかね。

あと、質問するときに絶対にやらないほうがいいのは反発的な態度です。素直に「そうなんですね」と感心したように言うと何故か評価が上がるかもしれません。※まあ、冗談半分ですが成績の良い人が反発する中で、学部での成績が悪かった友人はこの手で大学院に進学したと自慢げに言っておりましたっけ。いや、あくまで笑い話ですよ。

それでは、また明日。

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